ここは、Chao Phraya川を挟んで
Wat Phra Kaeoの対岸に位置します。
Chao Phraya川は、私が子供の頃は、メナム川と教えられました。
メナム(Mae Num)は、川と言う意味で
タイの人々がMae Numと呼んでいたので、外国人が川の名前と間違えたらしい。
そして、このお寺の呼称のWatはお寺、Arunは暁と言う意味で、日本語では暁の寺となります。
三島由紀夫の長編小説「豊饒の海」の第3部「暁の寺」の舞台になっています。
Tha Thien桟橋から、Wat Arunの前の桟橋へ
渡し船で渡ります。
この渡し船は、
一般のタイ人の足にも使用されており、
料金は、確か1Bか2Bでした。本当に安い。
渡し船で、Wat Arunに向け、川を渡っていると、
目の前を高速船が通り過ぎて行きます。
もし、この船を一時間チャーターすると、
300B位の値段を吹っかけて来ます。
川を横切りながら、
Wat Arunの写真を撮ろうとすると、
船の上下動で、
Wat Arunの仏塔の先端まで入れて撮るのは、
私の腕では難しい。
この写真の右側の船が、
私が乗っている渡し船と同型の船です。
やっと仏塔の先端まで含めた
写真が撮れました。
中央の仏塔の周りに、
小ぶりな仏塔が4基
配置されています。
かつて、
ビルマ軍によって滅ぼされた
アユタヤ朝の後に、
タークシン将軍が、
このトンブリー地区に
王朝を開き、このお寺を
第一級王室寺院としました。
そして、タークシン将軍が
ビルマ軍を撃退しますが、
精神錯乱を起こした後、
現在の
チャクリ王朝を開いたチャオプラヤー・チャクリ将軍によって、とって代わられます。
渡し船で、トンブリ地区に渡り、仏塔に向かって歩きながら、
一枚撮影。
仏塔表面は、中国陶器の色彩豊かな破片が
埋め込まれています。
ヤック達が仏塔を支えています。
仏塔を支えるヤック達です。
ヤックは、
タイの叙事詩ラーマキエンに登場する
鬼神で、日本では夜叉を指します。
そして、ラーマキエンは、
インドの叙事詩ラーマヤナに由来します。